LONDON COLUMNING

ロンドンから音楽事情を発信していきます。音楽以外もたまにはね。

素晴らしい文章とは何か

たまには日本のお話も。素晴らしい文章を読んだ。プロの作家さんとかライターさんの文章ではなくて、Facebookに綴られた一人の一般の女性の何気ない文章(下記に転載)だ。この方は幼稚園のときの同級生で、たまたまFacebookで再会した方。おそらく四半世紀ほど直接お会いしていない。彼女がどんな人生を送ってこられたのかは全く知る由もないが、この文章には本当にグッと来た。この方の素晴らしい人生を垣間みられた気がした。多分素敵な人生を送っていて、色んなことを経験し、色んな人が周りにいるんだろう。彼女のFacebookをのぞく限り、モノを書くような仕事をしているわけではない。おそらく普通のOLさん。でもすごく美しい文章を書くなと思って、つい今ブログに書き込んでいるところだ。そもそも自分が現在「書く」ことで人様からお金を頂いているわけだが、そんな自分に色々問いただしたくなるような何だかハッとさせられる文章だった。一見すると、何ともない普通の文章なのだが、ここにはちゃんと想いが詰まっていて、ストーリーがある。景色が見える。そして真っすぐだ。無駄なテクニックもないし、着飾った何かがあるわけでもない。ただひたすら真っすぐに想いを綴って、読んでくれる人に何かを伝えようとする意志のある文章だと僕は思った。そして自分自身に問いかける。自分が書いている文章は、本当に誰かに何かを伝えようとしているか、自己満足になっていないか、無駄テクニックに走り本質を見失っていないか、そこに発見はあるか、気付きはあるか、批評しているか、そして最後に、一人でも多くの人を動かす力を宿せているか。おい自分よ、そもそもお前が自分で書いた文章を読んで、何か行動を起こすか。まだまだだ。全然ダメだ。どう書くか、どこに書くか、それも大事かもしれない。それはこの1年で格段に上達したかもしれない。でも一番大切なのは、心を込めて誰かに伝えたいことを全力で書くことだ。そういう文章のひとつやふたつを携えて墓に入るような人生にしたい。こういう文章にたまに出会えるから生きるって楽しいと思う。嗚呼ここのうどん死ぬほど食いてえなあ。

 

広畑にある「麦っ子」が9月末で暖簾を降ろすと聞き、父と出かけた。

家から程近いところにあり、物心つく頃から幾度となく通ったお店。今年で30年になるそうだ。

お店に訪れる人の大半が注文するのが「ざるおでん」

ざるうどんと、おでんのセットメニューである。

太めでこしの強いつやつやのうどんと共に、麦っ子のおでんは外せないメニューなのだ。

卵にすじ、じゃがいも、厚揚げ、ごぼう天、ちくわ、こんにゃく―などなど、絶妙な塩梅に炊き上げられた具材の中から、好きなものを三品選んで注文する。

人気のお店なので、時間によっては売り切れもある。私が行った頃にはもう、すじが出てしまっていた。

今日も麦っ子の味を惜しむファンで店先には行列ができていた。40分ほど待って、中に入ることができた。

閉店の理由は、大将の年齢によるところらしい。小さい頃の印象とあまり変わらずお元気そうだけれど、ずっと立って仕事をするのはやはり、大変なのだろう。

父と二人向かい合わせでうどんを食べる。

父はざるおでん、私は天ざる。

いつ来ても、何年経っても、変わらず美味い。

この味がもう食べられなくなってしまうのは、本当に寂しい。

でも、最後に来ることができて、よかったな。

お近くの方はぜひ、訪れてみてほしい。

そして、麦っ子の味に触れてみていただきたい。

 

 


麦っ子 (むぎっこ) - 広畑/うどん [食べログ]